勝海舟とは


勝海舟(かつかいしゅう) 幕臣

文政六年正月三十日、父・小吉、母・信の長男として江戸本所亀沢町(現・東京都墨田区)に生まれる。麟太郎(りんたろう)と名付けられる。

男谷精一郎の道場に剣術を学び、男谷門下の島田虎之助の道場の内弟子となり、剣術、禅の修行に打ち込む。

二十一歳で永井青崖(せいがい)に入門し蘭学の勉強を始め、ヅーフ・ハルマの筆写にとりかかり二冊筆写する。

その後赤坂田町に蘭学塾氷解塾を開く。
ペリー来航の折、海防に関する意見書を提出、それがきっかけで幕府に出仕する。

長崎海軍伝習所では生徒監を命ぜられる。

万延元年に咸臨丸にて渡米。

その後、神戸海軍操練所を開設、門下に坂本龍馬、高松太郎、後の睦奥宗光などがいる。
戊辰戦争が勃発すると陸軍総裁に命ぜられ、江戸無血開城を成す。

明治時代に入ってからは旧幕臣の生活の面倒をみたり、枢密顧問官などを務める傍ら、徳川慶喜の明治天皇拝謁に尽力する。
明治三十二年一月十九日赤坂氷川の自宅にて没。
 
勝部真長著「勝海舟」(PHP研究所)による