2014.05.17 このイベントは開催済みです。

神田川~日本橋川クルーズ開催いたしました。

神田川~日本橋川クルージング


●第2回 史跡探訪
「勝海舟の会」神田川~日本橋川クルージング ご案内
※ この文章は、地図の下にあるご案内をクリックして印刷することができます。必要な方は出力して下さい。
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日時:2014年5月17日(土)
集合時間場所:13時20分 日本橋南詰野村証券ビル前広場...
内容:船にしかできない体験を船上解説付きで、日本橋から隅田川、神田川を巡ります。
   江戸時代から続く、東京の運河名橋を巡る今人気のクルーズプランです。
参加費:3,000円(「勝海舟の会」会員は、2,500円です。)
クルージング終了:15時20分(日本橋から徒歩10分で、懇親会会場へ)
懇親会会場:ランコントレ・トント
(イタリアン・ダイニング15:30過ぎから懇親会)
懇親会参加費:3,000円
TEL:03-3664-0432 http://r.gnavi.co.jp/a096101/
※地下鉄東京メトロ銀座線・東西線・都営浅草線の日本橋駅B10出口から徒歩3分、地下鉄東京メトロ半蔵門線の三越前駅B6出口徒歩2分の日本橋南詰め野村証券ビル前の広場にご集合ください。クルージングは出発時間が決まっておりますので、午後13時20分厳守でお越し下さい。クルージングは、午後15時20分で終了します。また、当日、少々の雨天で中止はありません。そして、低い橋脚をくぐって行きますので、危険回避のため雨傘は禁止です。雨模様の場合、コンビになどで500円程度の雨合羽をご用意ください。その後、日本橋下船場から徒歩10分にあるイタリアン・ダイニング「ランコントレ・トント」にて懇親会を行います。終了は17時40分ごろの予定です。事前のお申し込みが必要で、お申し込み順先着44名です。クルージングは決定予約なのでキャンセルが効きません。ご予定ご確認のうえ、
お申し込み・お問い合わせは、勝海舟の会・会長 瀬古茂二郎
 携帯番号:090-5536-1881 メール・アドレス:seko@pricingjp.com まで

◉江戸時代から続く、大都会東京の運河名橋を巡る、今人気のクルーズプランです。
東京の運河・江戸歴史巡りと、スカイツリーのビュースポットが楽しめる、船からしか見られない景色を見ながらの盛りだくさんの遊覧クルーズです。
「お江戸日本橋」のたもとの桟橋からスタートです。首都高速の下を通って、「江戸橋」をくぐり、東京証券取引所を右横に見ながら通過。
茅場町、箱崎を通過して、永代橋横で広い隅田川に合流します。
橋の博物館といわれる隅田川を一路北上し、近年有名になった、「清洲橋(国の重要文化財)+スカイツリー」のビュースポットを通過します。
新大橋をくぐり、左岸に浜町公園を見ながら、両国橋をくぐってすぐ左折、神田川に入ります。
江戸城の堀・水路跡を色濃く残す神田川を通って右に柳橋を見ながら、小さな橋を次々くぐって、美倉橋、和泉橋をくぐって、あの秋葉原の万世橋をくぐります。昌平橋と総武線をくぐって、左にニコライ堂を眺め、お茶の水の聖橋に出ます。お茶の水駅の横を通って、お茶の水橋をくぐって、右に外堀通りを見ながら、水道橋へ。水道橋をくぐって、後楽橋をくぐってから左の日本橋川へ左折して南下。首都高速の下を一路九段下方面へ。近年増えた超高層ビルを横目に西神田、九段の千代田区役所を見ながら、一ツ橋を通って、丸紅本社、気象庁を見ながら神田橋へ。JR山手線下をくぐって、常盤橋、呉服橋をくぐり、江戸橋をくぐって、ゴールの日本橋です。

舛添要一・新東京都知事のプランのひとつで「日本橋再生計画」の構想が進んでいます。50年前の1964年、東京五輪に合わせて首都高速を完成させる都合上、土地買収や道路整備に時間が掛かるため、日本橋川の上に高速道路を通しました。そのため、日本橋と日本橋川の上を高速道路が塞ぐ形になり、文化遺産としての景観上、最悪な状況が続いています。首都高速も完成から50年を経過して、道路自体の劣化もひどく、補修するより撤去再建設の方向で、地下へ首都高速を埋める計画です。6年後完成すれば、晴れて50年振りに元の日本橋川の復活です。

◉神田川は日本最初の上水道であり、江戸時代の重要な物流河川路
1457年太田道灌によって、江戸城が築かれました。その江戸城を立派な城に修築したのが徳川家康です。当時、関東地方の中心は鎌倉で、鎌倉に船で様々なものを運ぶため、江戸湊が作られました。江戸城から江戸湊への交通の便を考えて、神田川のルーツ・平川の流路を変えたのが江戸発展の礎となりました。徳川時代初期、軍事目的で江戸城外堀として機能させるため、仙台藩に神田台地を切り崩し浅草で隅田川に合流する工事を命じます。切り崩した台地が神田だったことから、神田川の名前が生まれます。また、神田川の上流、目白下の関口に取水場が設けられ、江戸市中へと水が導かれました。日本最初の上水道、神田上水です。元の平川の流れは現在の三崎町付近に土手を築き、神田川の流れは一時期分断され、江戸湊から船便が行き来する重要な水路機能が日本橋川です。五街道の出発点、日本橋もこの流れ上に架けられました。明治36年神田川と日本橋川は再びつなげられ、合流点の三崎橋近くに飯田町駅が作られ、鉄道輸送が始まりました。


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