年号 |
年齢 |
主な出来事 |
文政6年 |
1歳 |
正月30日本所亀沢町に生まれる
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文政9年 |
7歳 |
12代将軍家慶五男初之丞の学友としてお城づとめ
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天保2年 |
9歳 |
お城づとめを退く
病犬に急所を噛まれ、父小吉の献身的な看病を受ける
男谷道場にて剣術を学び始める
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天保11年 |
18歳 |
島田道場の内弟子となる。弘福寺で禅の修行をする
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天保12年 |
19歳 |
夜は牛島神社(王子権現)の境内で寝食を忘れて剣術の修行に打ち込む
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天保14年 |
21歳 |
赤坂溜池の永井青崖に蘭学の入門をする。
函館の豪商・渋田利右衛門と書店で知り合い援助を受ける。
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天保15年 |
22歳 |
神田お玉ヶ池の佐久間象山塾に入塾する。
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弘化2年 |
23歳 |
たみと結婚する。
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弘化3年 |
24歳 |
春、赤坂田町(現:山王下から赤坂サカスへ入ったあたり)へ引っ越す。(永井青崖のところに通いやすいため)
9月15日、長女 夢 誕生
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弘化4年 |
25歳 |
秋、蘭和辞書「ヅーフ・ハルマ」の筆写始める。
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弘化5年 |
26歳 |
秋、「ヅーフ・ハルマ」2部筆写完成。1部を30両で売り本の賃貸料、筆墨代、生活費に。
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嘉永2年 |
27歳 |
10月29日、次女 孝 誕生
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嘉永3年 |
28歳 |
赤坂田町に氷解塾を開く。
9月4日、父小吉(夢酔)病没。
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嘉永5年 |
30歳 |
2月17日、長男 小鹿 誕生
佐久間象山書「海舟書屋」の額を象山より贈られる。(海舟と名乗るきっかけ)
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嘉永6年 |
31歳 |
6月3日ペリー浦賀に来航。見に行く。
7月12日「海防に関する意見書」を上申。
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嘉永7年 |
32歳 |
12月18日 次男 四郎 誕生
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安政2年 |
33歳 |
1月19日蕃書翻訳勤務(まだ小普請組)を命ぜられる。
10月20日、長崎到着。24日入門式
1月23日大阪近海の見分を命ぜられ、帰路鎌倉も巡回。
7月 長崎海軍伝習を命ぜられる。
8月7日 小十人組へ番入りを命ぜられる。(勝家悲願の小普請組脱出)
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安政3年 |
34歳 |
ペレス・レイケンにオランダ留学の相談。
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安政5年 |
36歳 |
3月15日、咸臨丸で薩摩へ巡航、島津斉彬公・久光公と会う。
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安政6年 |
37歳 |
アメリカへ使節派遣と聞き、江戸へ帰る許可をもらう。紀州沖で大暴風に遭う。
7月赤坂元氷川に転居。(現:ビル・飲食店壁に看板あり)
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万延1年 |
38歳 |
1月13日、咸臨丸品川を出港。19日浦賀を出港。
2月26日、サンフランシスコ入港
5月5日、浦賀に帰港
6月、神奈川台場竣工。(現・東神奈川。海舟設計、伊予松山藩築造)
8月3日 三女 逸子 誕生(母 増田糸)
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文久2年 |
40歳 |
秋、坂本龍馬が来訪、入門する。
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文久3年 |
41歳 |
1月16日、下田・法福寺で容堂公と会見、龍馬達の脱藩を許してもらう。(瓢箪の図)
4月23日、将軍家茂公の摂海巡航に同船、神戸に海軍操練所建設を建言、認められる。
5月16日、龍馬を越前の春嶽公へ遣わし海軍操練所の費用を借用。
12月28日、将軍家茂海路にて上洛。12軍艦の大デモンストレーション
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元治1年 |
42歳 |
2月7日、建白書にて一大共有の海局の構想を上申
2月23日、龍馬らを連れて長崎着。(英仏米蘭の四国艦隊下関攻撃を中止させるための談判)
福済寺で龍馬と相撲をとる。(鶴が鷹にちょっととまったようで見ものだった。By高木三郎)
7月18日蛤御門の変。21日様子を見に出かけ、弾丸が笠を貫く)
10月22日帰府の命、龍馬らを西郷に託し、25日早駕籠で出立。以後謹慎。
12月6日 三男 梅太郎 誕生。(母は梶玖磨)
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慶応2年 |
44歳 |
2月1日、薩長同盟のことを聞く。(坂龍今、長に行きて是等の扱を成すかと。左もあるべしと思る)
5月28日、軍艦奉行を命ぜられ、大阪へ。
8月末、長州との停戦談判のため広島厳島神社へ。
10月 次男四郎没。四男 七郎誕生(母は小西かね)
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慶応3年 |
45歳 |
海軍伝習掛となり、教育にとりくむ。
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慶応4 明治1年 |
46歳 |
3月13日、高輪の薩摩藩邸で西郷と会談。14日、田町の薩摩蔵屋敷で交渉。江戸総攻撃中止。
明治改元 10月12日、駿府に到着。鷹匠町(静岡駅北側、駿府城跡東側)に居を移す。
以後東京と駿府を行き来する。
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明治3年 |
48歳 |
3月25日、母信子病没。
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明治5年 |
50歳 |
5月10日、海軍大輔に任官。23日、赤坂氷川町へ転居。
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明治6年 |
51歳 |
10月9日、ブルック(咸臨丸渡米時の海軍大尉)大尉来訪再会。(夢中の如し)。翌日今度は訪ねて行く。
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明治12年 |
57歳 |
6月23日、木下川(きねがわ)の別荘のある浄光寺(木下川薬師・葛飾区東四つ木)に西郷の漢詩の石碑建立。
(後、洗足池・海舟墓所の隣に移設)
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明治18年 |
63歳 |
3月5日、五女 妙子 誕生。(母は香川とよ)
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明治25年 |
70歳 |
2月6日、福澤諭吉「瘠我慢之記」への返書を書く。
(行蔵は我に存す、毀誉は他人の主張、我に与(あず)からず我に関せず)
2月7日、長男小鹿病没。
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明治31年 |
76歳 |
3月2日、徳川慶喜、31年ぶりに参内、両陛下に拝謁。皇后自らお酌。(我が苦心三十年、少しく貫く処あるか。)
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明治32年 |
76歳 |
1月19日、死去。(トイレから出て倒れ、いとに「もう長くはないと思う」)
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